昭和の日(4月29日)
昭和天皇がお生れになった日。「国民の祝日に関する法律」(以下「祝日法」)によれば、「激動の日々を経て復興を遂げた昭和の日々を顧み、国の将来に思いをいたす日」である。すなわち、昭和天皇の御遺徳を仰ぎ、昭和の歴史を回想するにふさわしい記念日である。
明治34年(1901)の4月29日に誕生された裕仁親王は、大正天皇の崩御(12月25日)により践祚され、翌昭和2年(1927)からこの日が「天長節」となった。それが、戦後の昭和23年(1948)から「天皇誕生日」と改称された。ついで、同64年(1989)1月7日の崩御後まもなく「みどりの日」となり、やがて平成17年(2004)から「昭和の日」と改称された。
【コラム】昭和天皇の大御歌
昭和天皇の御遺徳を偲ぶには、縁の品々が展示されている東京都立川市の「昭和天皇記念館」を訪ねることもよい。また、宮内庁編『昭和天皇実録』など、公刊された書籍を通じて、各時期の御動静を知ることができる。
昭和天皇は、天皇として常に国家・国民のことを心に懸けられながら、御公務の合間に生物学の研究に励まれ、さらに和歌もよくお詠みになった。御生涯のうちに詠まれた御歌の数は、岡野弘彦氏によれば、約1万首にのぼるという。
その御歌の多くは、平成2年(1990)に公刊された宮内庁侍従職編『おほうなばら 昭和天皇御製集』などにより、すでに世に知られていた。しかも、平成31年(2019)元日、朝日新聞の朝刊一面に、新たに晩年の御製252首が発見されたと報じられた。新発見の「直筆原稿」に詠まれた御製は、その解読に尽力した所功博士の後掲編著に収められている。
この直筆草稿は、長らく昭和天皇の側近(内舎人)として仕えられた牧野名助氏が保管しておられた。それは最晩年(昭和60~63年)の遺詠250首以上にのぼる。前2書により千首近い御製を拝誦すれば、昭和天皇が国家・国民や動植物など、実に様々なことについての御歌に、深い御気持ちを詠み込まれたことが窺える。
【参考文献】(敬称略)
・所功著『「国民の祝日」の由来がわかる小事典』(PHP研究所、平成15年)、同編著『昭和天皇の大御歌 一首に込められた深き想い』(角川書店、平成31年)
・皇室事典編集委員会編『皇室事典 令和版』(KADOKAWA、令和元年)
・「昭和天皇 直筆原稿見つかる 晩年の歌252首 推敲の跡も」(『朝日新聞』平成31年元日および3日・7日朝刊)
・「昭和天皇の日常 触れた20年 直筆原稿寄贈 牧野さん」(『朝日新聞』令和元年9月5日朝刊)