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こどもの日(5月5日)

こどものひ

 「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」(「国民の祝日に関する法律」(以下、「祝日法」)による)。
 5月5日は、古来、五節句のうち「端午の節句」として日本人になじみ深い日である。五節句は、古く中国から伝来したもので、「大宝・養老令」(701年制定・718年改定)には「節日」としてみえる。
 そのうち、3月3日と5月5日は、日本では女児の雛祭や男児の節句など、子供の祝い日とされてきた。昭和23年成立の「祝日法」に、5月5日が新しく「こどもの日」と定められた。これが単なる子供の祝い日ではなく、「母に感謝する」日と明文化されたことは、まことに意義深い。
 ちなみに、わが国では縄文時代から土偶などに見られるとおり、子供を産み育てる母親・母性に対する敬愛・崇拝の風習が根強い。この「母」という漢字は、女に乳房の「﹅﹅」を加えた形である。それを「はは」と訓む例は『万葉集』にも多くみえるが、『和名抄』の引く「日本紀私記」には「母、以路波(いろは)」とあり(イロは接頭語でイロハは生母の意)、たとえば「神武天皇即位前紀」の記す「母を玉依姫といふ」の「母」に「イロハ」の古訓がみえる。
 
【コラム】昭和天皇が母君(貞明皇后)を詠まれた大御歌
 昭和天皇の御製中、母后の貞明皇后(明治17年~昭和26年)に関して詠まれた大御歌を、宮内庁編『昭和天皇実録』(東京書籍)の記事と共に抄出する。
 
①冬すぎて菊桜さく春になれど母の姿をえ見ぬかなしさ
昭和27年(1952)4月28日 月曜日(51歳)/この日、現地時間午前八時三十分〔日本時間、午後十時三十分〕米国ワシントン市において同国の「日本国との平和条約」(対日平和条約)批准書が寄託される。これにより日本国と連合国との戦争状態は終了し、連合国により日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権が承認される。
 
②ありし日の母の旅路をしのぶかなゆふべさびしき上の山にて
昭和27年(1952)10月21日 火曜日/(宮城県)御泊所松島パークホテル御出発に先立ち、当初の御予定になかったものの観瀾亭にお出ましになり、松島湾を御展望になる。
 
③たらちねの母の好みしつはぶきはこの海の辺に花咲きにほふ(題「伊豆西海岸堂ヶ島」)
昭和29年11月7日 日曜日(53歳)/(静岡県行幸中、賀茂郡今井浜の御泊所を御出発の後)賀茂郡仁科村堂ヶ島の松永別邸(安左エ門)一日庵において御昼食を召し上がる。
 
④母宮のゆかりも深きたくみ場に入りてつぶさに紙つくり見る
昭和32年(1957)10月29日 火曜日(56歳)/(静岡県吉原市)大昭和製紙株式会社鈴川工場を御視察になり、昭和二十三年四月十日の貞明皇后行啓の際、工務部の東側に立つパルプ工場の屋上に上られた旨を斉藤社長よりお聞きになる。
 
⑤母宮のふかきめぐみをおもひつつ老人たちの幸いのるかな
昭和33年(1958)4月14日 月曜日(57歳)/(熊本の)社会福祉法人リデル・ライト記念養老院を御訪問になる。藤楓協会(癩予防協会)常務理事浜野規矩雄の説明により貞明皇后がハンセン病患者に寄せてお詠みになった歌碑を御覧の後、社会福祉事業功労者及び同院収容者に御会釈を賜い、男女各一室ずつの収容室に進まれ、収容者を御慰問になる。
 また、玄関外において、同院の母体となった熊本回春病院の創設者故ハンナ・リデルが大正十三年(一九二四)に御成婚記念として設置した日時計を御覧になる。
 
【参考文献】(敬称略)
・所功著『「国民の祝日」の由来がわかる小事典』(PHP研究所、平成15年)、同編著『昭和天皇の大御歌―一首に込められた深き想い』(角川書店、平成31年)
・宮内庁編『昭和天皇実録』全19冊(索引1冊を含む)(東京書籍、平成27~31年完結)

(G)