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「文化の日」と明治神宮100年

令和2年11月1日

  「文化の日」は本来「明治節」
 現在11月3日は、戦後(昭和23年)制定の「国民の祝日に関する法律」で「文化の日」と定められた。その意義は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日と示されている。しかしながら、これでは抽象的すぎて「国民こぞって祝う」気になり難い。
 ご承知のとおり、この日は明治天皇が誕生された嘉永5年(1852)の旧暦9月22日を新暦に換算した明治の「天長節」(天皇誕生記念祝日)である。
 その経緯を見ると、天皇の崩御(1912年7月30日)直後から新祝日としてほしいという有志の要望が出された。けれども、当局では現天皇を至高とする立場から採択を見送り、ようやく昭和2年(1927)に「明治節」として勅定された。それ以来、「紀元節」(2月11日)「天長節」(4月29日)に並ぶ三大節として盛大に奉祝されてきたのである。
 しかし、戦後それがGHQの「民主化」政策強要によって否認された。そこで、やむなく日本側で「名を捨てて実を取る」(名称は変えるが日取りは残す)妥協の結果、「文化の日」としたにすぎない。従って、これはすみやかに「明治の日」とでも改称することが望ましい。

  官民一体の神宮造営と青年奉仕の造林
 その際、検討しなければならないのは、祝日の意義づけである。明治天皇とはどんな方であり、百年以上たった今日、どのような意味を持つのだろうか。
 それを丹念に研究し解明された一人が、20年ほど前に大著『明治天皇』を出版されたドナルド・キーンさん(晩年日本に帰化)である。同書を新潮文庫化した時の紹介文に「極東の小国」を「欧米列強に比肩する近代国家に押し上げた果敢な指導者」と称揚されている(以下敬称略)。
 このような評価は、明治天皇と同時代を生き抜いてきた人々の見方でもあったに違いない。それゆえ、崩御直後から東京商業会議所の渋沢栄一や東京市長の阪谷芳郎ら著名な有志が協議して、明治天皇を奉祀する特別な神社の創建を決議している。
 その建造計画は、政府の国費で造営する「内苑」と、民間の献費で造成する周辺の「外苑」に分けられた。そして前者は内務省の担当により、後者は奉賛会(会長徳川家達)の募財により、両方の工事が着々と進められたのである。内苑の社殿は建築史家の伊東忠太東大教授が中心となって壮重に作られ(宝物殿は正倉院風の鉄筋建築)、外苑に「聖徳記念絵画館」などが造られてゆく。
 しかも、百年先を見通して、内苑(境内)全域に楠・樫・椎など常緑広葉樹を主とする多様性と多層性を重視した植林により「永遠に亙り森林の更新行はるることとなる状態に達せる」雄大な計画を立てたのは、林学造園学者の本多静六東大教授である。すると、北の樺太から南の台湾に至る全国から約10万本の献木があり、その植林には田沢義鋪の指導する全国の青年団員延べ11万人が奉仕している。
 このように大正9年(1920)11月1日に完成された「明治神宮」は、今や毎年1千万人前後の老若男女が参拝する(近年は外国人も多い)。また百年経って天然林のごとく成育した「神宮の杜」は、皇居と共に「永遠の聖地」として世界から注目されている。
 この11月1日に斎行される「鎮座百年祭」を寿ぎたい。

(所  功)