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「立皇嗣の礼」と「壺切の御剣」

りっこうしのれいとつぼきりのぎょけん

「立皇嗣の礼」
 「皇嗣」とは天皇の継嗣(あとつぎ)である。たとえば、『続日本紀』天平宝字元年(七五七)四月四日条に「天皇(孝謙女帝)、群臣に問ひていはく、まさに誰王を立てて皇嗣と為すべきや」とみえる。それが明治以降の皇室法制では、皇位継承の有資格者を「男系の男子」に限り、その第一位を皇嗣とした。しかも戦後の皇室典範では、皇嗣を天皇直系の皇子と皇孫に限っている。
 しかし、平成の天皇が皇太子徳仁親王に譲位され、令和の天皇が即位された当代、今上陛下には皇子がない。そのために、三年前制定の皇室典範特例法により、新天皇の弟秋篠宮文仁親王を皇嗣に立て「皇太子の例による」と定め、同様の扱いをされるようにした。
 従って、法律的にみれば、秋篠宮殿下は昨年五月一日から直ちに皇嗣であるが、その身位を明確に可視化するため「立皇嗣の礼」を本年十一月八日、厳かに実施されたのである。ただ、皇嗣殿下は、天皇家族の内廷(本家)に移入せず、宮家(分家)の当主として秋篠宮家を保持される。

「壺切の御剣」
 「立皇嗣の礼」という名称は、このたび初めて用いられた。しかし、その儀容は、古代以来の「立太子(立儲)の儀」を承けて、明治四十二年(一九〇九)公布の「立儲令」付式で整えられた「立太子の式」に準拠して、昭和二十七年十一月十日の明仁親王立太子式も、平成三年二月二十三日の徳仁親王立太子式も実施された。それに倣って今回も、皇嗣として「宣明の儀」「壺切御剣の儀」「宮中三殿の儀」および「朝見の儀」などが行われた。
 そのうち「壺切」と称される御剣は、平安前期に摂関藤原氏から奉献された名剣であり、壺をスパッと切れるほど鋭いという。それが長らく立太子の際、天皇から皇嗣へ渡されてきた。戦後も「皇室経済法」では、「皇位と共に伝わるべき由緒ある物は、皇嗣がこれを受ける」と定められた由緒物の一つとして、宮内庁(山里文庫の中の「御剣庫」)で保管されている。
 この御剣の形状は、平安中期の公家日記(『九条殿記』など)にも、また明治二十二年(一八八九)十一月三日、嘉仁親王(のち大正天皇)を皇太子とした立太子関係記録などにもみえる。
 さらに、江戸中期ころ修造された際に描写されたかと推定される「壺切御剣図」が京都大学総合博物館に所蔵される「勧修寺家文書」の中にある(京大貴重資料デジタルデータでweb公開)。その考証拙稿を仕上げたので、来春発行の『藝林』第七〇巻一号に掲載する。
 しかも今回は、現存の壺切御剣が宮内庁によって撮影され、複数のテレビで放映されている。

(所  功)

【参考文献】(敬称略)
・『皇室事典〈令和版〉』「近現代の立太子礼」(所 功)
・宮内庁HP「立皇嗣宣明の儀の天皇陛下のおことば」「立皇嗣宣明の儀の秋篠宮皇嗣殿下のおことば」
・京都大学貴重資料デジタルアーカイブ「壺切御剣図」
・テレビ東京「皇室ちょっといい話(13)」
・久禮旦雄「立太子礼」(ミカド文庫)
・所 功「「壺切御剣」に関する御記逸文」(ミカド文庫)