昭和天皇祭
昭和天皇が昭和64年(1989)1月7日に崩御され、平成2年(1990)に一周年祭が営まれた後、毎年1月7日、皇霊殿および武蔵野陵で執り行われている。崩御から3年後・5年後・10年後・20年後・30年後には、式年祭として行われた。
昭和天皇祭は明治41年(1908)公布の「皇室祭祀令」により「大祭」の一つと定められる「先帝祭」である(中野文庫「皇室祭祀令」参照)。従って、天皇陛下が親ら「御拝礼、御告文を奏」される。ついで皇后陛下の御拝礼があり、皇嗣・同妃両殿下および他の成年男女皇族が拝礼される(今年、皇后陛下は赤坂御所でご遥拝・お慎みをされた)。さらに同日夕方から、皇霊殿御神楽が行われる。また陵所には、皇族の代表が拝礼される(今年は眞子内親王殿下が参向された)。
なお、昭和天皇は上皇陛下の先帝に当たるため、その式年祭は別格の扱いとされ、天皇陛下が陵所で親祭をなさり、宮中の皇霊殿では皇太子(皇嗣)殿下か掌典長が祭典を行うことになっている。
【コラム】昭和から平成への御代替わり
昭和天皇は昭和63年(1988)9月19日の大量吐血から111日間の闘病生活を経て、翌年1月7日早朝に崩御された。その直後、深い悲しみの中で皇位を継承された平成の天皇陛下(55歳)は、やがて80歳代に入られてから、平成28年(2016)8月8日の御言葉の中で次のように述べておられる(宮内庁HP参照)。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
このような御経験も踏まえられて、高齢譲位についての御意向を間接的に表明されたとみられている。それに大多数の国民が理解と共感を示し、政府と国会の尽力によって成立した「皇室典範」特例法に基づき、御譲位が実現されたのである。
なお、昭和から平成への移り変わりについては、多様な記録類が出版されている。
【参考文献】(敬称略)
・宮内庁HP「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(平成28年8月8日)
(https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41)
・所功著『天皇の「まつりごと」』(日本放送出版協会、平成21年)、同著『象徴天皇「高齢譲位」の真相』(KKベストセラーズ、平成29年)
・皇室事典編集委員会編『皇室事典 令和版』(KADOKAWA、令和元年)