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孝明天皇こうめいてんのう

御名
統仁(おさひと)
歴代
第121代
生没
天保2年6月14日(1831年7月22日)~誕生  ~慶応2年12月25日(1867年1月30日)(満35歳4ヶ月)崩御 
在位
弘化3年(1846) ~慶応2年(1867)
実父
仁孝天皇(→四男)
実母
藤原(正親町)雅子
猶母
鷹司(藤原)祺子
略伝
在位中(21年近く)異国船に開国を迫られた幕府から勅許を求められたが、反対し続けた。公武合体のため、異母妹和宮を将軍家茂に降嫁させた。文久3年(1863)攘夷祈願のため将軍らを従え京都の賀茂社などへ行幸し、その3年後、疱瘡に罹り崩御(36)。陵は泉涌寺後山に築かれた円丘墳の後月輪東山陵。皇紀2600年にあたる昭和15年(1940)には、京都市民の要望により「平安京有終の天皇」として平安神宮に神霊が合祀された。
肖像
泉涌寺蔵
宸筆
「御祝詞」
天皇陵
後月輪東山陵
主な皇子・皇女
睦仁親王(明治天皇)
妙香華院
順子内親王
富貴宮
基本史料
宮内省編『孝明天皇紀』
宮内省編『孝明天皇紀 附図』(吉川弘文館、平成元年〔1982〕) 宮内省編『孝明天皇実録』 (→藤井讓治・吉岡眞之監修・解説『天皇皇族実録 孝明天皇実録』全二巻、ゆまに書房、平成18年〔2006〕)
主な御撰・御製
『孝明天皇宸記』 弘化4年(1847)・安政5年(1858)・万延元年(1860)~文久元年(1861)・文久元年~元治元年(1864) 宮内庁書陵部蔵
『皇居炎上御避難御道中御製和歌御詠草』 『此花詠集』全13巻など いずれも『宸翰集』小林写真製版所、昭和2年(1947)に一部掲載
ゆかりのスポット
 後月輪東山陵
 孝明天皇御胞衣埋納所
 平安神宮
その他