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災害についてのお言葉

平成29年3月10日

天皇陛下の災害についてのお言葉(天皇陛下御誕生日に際しての記者会見より)

※宮内庁公式サイト「天皇皇后両陛下のおことばなど」より、天皇陛下お誕生日に際しての記者会見から、平成時代の主な災害についての陛下のお言葉を皇室関係資料文庫のスタッフが抜粋。ここにあげられていない災害についても陛下は言及されており、順次追加していく予定である。

○雲仙普賢岳噴火について(平成3年12月19日)

宮内記者会代表質問

問1 この1年を振り返られてどんなご感想をお持ちでしょうか。(後略)

天皇陛下

(前略)

国内では,雲仙・普賢岳の噴火による災害や,台風による災害で,多くの人命が失われたことは誠に残念なことでした。殊に雲仙・普賢岳の噴火は依然として続いており,終息する兆候も認められません。長い避難生活の苦労は,はかり知れないものと察しております。

(後略)       http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h03e.html

○北海道南西沖地震について(平成5年12月20日)

宮内記者会代表質問

問4 この1年間で最も心に残ったことをお聞かせください。

天皇陛下

今年,最も心に残ったこととしては,経済情勢の厳しい上に,地震,津波,集中豪雨,台風,さらに冷夏という大きな被害を受けたことです。北海道南西沖地震では200人以上,また,鹿児島県の集中豪雨では70人以上の人々が亡くなり,今年一年で400人以上の死者,行方不明者が出ました。遺族や災害を受けた人々の悲しみや苦しみは,いかばかりかと思います。立ち直られる日の一日も早いことを念願しております。

(後略)       http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h05e.html

○阪神淡路大震災について(平成7年12月21日)

宮内記者会代表質問

問1 (前略)この1年を振り返ってのご感想をお聞かせ下さい。

天皇陛下

今年は誠に心の重い年でした。年の初めに阪神・淡路大震災が起こり,これが何よりも心の痛むことでした。5,500人を超す人々の命が失われ,多くの人々が長く苦労の多い避難生活に耐えねばなりませんでした。殊に高齢の被害者の気持ちはいかばかりであったかと察しています。

このような中にあって,被災者が互いに助け合い,冷静に事に対処している姿と,各地から訪れたボランティアが,懸命に被災者のために尽くしている姿に深く感銘を受け,我が国の将来を心強く思いました。

(中略)

このような今年の心の痛む出来事の中で,雲仙普賢岳の噴火が収まったことは,明るいニュースの一つだったと思います。先日被災地を訪れ,復興事業の様子を頼もしく見ました。見通しの立たない長い避難生活が4年も続いたわけで,被災者の人々の苦労はいかばかりかと察せられますが,今後皆が協力して安全な住みよい土地を築いていかれるよう切に願っています。

(後略)      http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h07e.html

○新潟県中越地震・三宅島噴火について(平成16年、宮内記者会の質問に対する文書ご回答)

問1(前略)この1年間を振り返って,陛下の心に残っていることと,それぞれについての感想をお聞かせください。(後略)

天皇陛下

1年間を振り返って,国内のことで,最も心の痛むことは自然災害によって死者・行方不明者が300人に達したことです。阪神・淡路大震災の年を除くと,この10年間,年ごとの死者・行方不明者の数はこの数値の半分以下ですから,今年の災害は極めて大きなものでした。日本に襲来した台風の数も,台風に伴う雨量も,また集中豪雨の雨量も,今年は多く,各地で山崩れや洪水をもたらし,多くの人命が失われました。

10月には新潟県中越地震が起こり,40人の命が失われ,一時は10万人を超える人々が避難生活を送ることを余儀なくされました。山古志村では全村民が村を離れ,避難生活を送っています。余震が続き,雨が降る中での救助活動は非常に危険を伴うものであり,心配していましたが,事故が起こらなかったことは幸いでした。2歳の幼児の4日ぶりの救出はこのような厳しい状況の中で行われましたが,無事救出されたことは本当に良かったと思っています。救助,救援活動に当たった消防,警察,自衛隊の人々,また全国から集まったボランティアに対し,深く感謝しています。私は皇后と共に11月初旬被災地を訪れましたが,被災した人々が悲しみの中で,救援活動をする人々に感謝しつつ,けなげに避難生活を送っている姿に心を打たれました。被災地は深い雪に覆われる地域であり,寒さが厳しくなる中で,被災者の健康が気遣われます。最近は仮設住宅の建設が進み,大勢の人々と共に生活していた避難所から仮設住宅に移る人々の姿が放映され,それを見ていると少し気持ちが明るくなります。長い共同生活は本当に苦労が多いことだったと察しています。今後被災地の人々の生活が安全性の高い基盤の上に築かれていくことを切に願っています。

火山噴火により全島民の避難が4年以上続いている三宅島では,火山ガスの量が減り,安全確保対策や受け入れ準備が進められて,島民の帰島が来年実現する運びとなったことは喜ばしいことです。しかし,火山ガスの放出はまだ収まっていない状態なので,帰島した島民の苦労も多いのではないかと心配しています。島民の避難後,火山ガスが放出される中で,島民の帰島の日を目指して,たゆまず復旧作業に取り組んできた人々の労を深くねぎらいたく思います。

(中略)

また最近フィリピンでは台風などにより,千人を超す死者・行方不明者が生じたことは誠に痛ましいことでした。そのような中で倒壊した建物から10日ぶりに生存者が救出されたという報道に接し,先に新潟県で救出された幼児のことを思い起こしました。望みを捨てないで救出に当たるということがいかに大切かということをつくづく感じます。

(中略)

今年は相次ぐ災害に見舞われ,今も多くの人々が避難生活を送っている状況にあります。特に新潟県のように,雪が深く,寒さも厳しい所の避難生活はさぞ苦労が多いことと心配しています。来年が何よりも災害の少ない年であり,国民皆にとり良い年となるよう願っています。

(後略)       http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h16e.html

○広島県豪雨・御嶽山噴火・長野県北部地震・雪害など(平成26年12月19日)

宮内記者会代表質問

問1 この1年を振り返り,社会情勢やご公務,ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。来年に向けてのお考えもあわせてお答えください。(後略)

天皇陛下

(前略)

痛ましい災害もありました。8月には大雨が広島市を襲い,土砂災害によって74人が亡くなりました。先日被災地を訪問しましたが,暗闇の中で木がなぎ倒され,大きな石が土砂と共に落下してくる状況は想像するだに恐ろしく,人々の恐怖はいかばかりであったかと思います。

また9月には,御嶽山の噴火により,死者,行方不明者が63人となりました。紅葉を楽しもうと登った人々であったことを思い,心が痛みます。

長野県北部でも11月に震度6弱の地震が発生しましたが,幸いにも地域の人々の日頃の訓練と消防職員の協力によって死者を出すことはありませんでした。建物の被害は大きく,冬に向かっての生活の苦労が深く察せられますが,死者がなかったことはうれしいことでした。

新聞に大きく取り上げられるような災害ではありませんが,常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります。日本全体で昨冬の間に雪で亡くなった人の数が95人に達しています。この数値は広島市の大雨による災害や御嶽山の噴火による災害の死者数を上回っています。私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから,高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き,高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません。

(後略)      http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h26e.html

○鹿児島県口永良部島新岳噴火・鬼怒川氾濫(平成27年12月18日)

宮内記者会代表質問

問1(前略)この1年を振り返るとともに,来年へのお考えをお聞かせください。

天皇陛下

今年の自然災害としては,まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳が噴火して,海岸まで達する火砕流が発生し,全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが,海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが,まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し,8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ,どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により,人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので,多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日,常総市の被災地をお見舞いしましたが,泥水につかった田畑が広がり,苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

(後略)      http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h27e.html

○東日本大震災より5年・熊本地震・台風10号による風水害など(平成28年12月20日)

宮内記者会代表質問

問 (前略)この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

天皇陛下

(前略)

東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には,福島県,宮城県の被災地,そして9月には岩手県の被災地を訪問し,復興へ向けた努力の歩みとともに未いまだ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では,19年前に滞在した宿に泊まりましたが,当時,はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が,地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り,自然の力の大きさ,怖さをしみじみと思いました。

この5年間,皆が協力して復興の努力を積み重ね,多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に,今なお多くの人が困難をしのんでおり,この人々が,1日も早く日常を取り戻せるよう,国民皆が寄り添い,協力していくことが必要と感じます。

4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で,多くの被害が出ましたが,16日未明に本震が発生し,更に大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き,人々の不安はいかばかりであったかと思います。

5月に現地を訪れましたが,被害の大きさに胸を痛めるとともに,皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に,心を打たれました。

今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い,その中で高齢者グループホームの人たちを含め,多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

このような災害に当たり,近年,個人や様々な団体と共に,各地の県や市町村などの自治体が,被災地への支援の手を差し伸べ,さらにそれを契機として,全国で様々な地域間の交流が行われるようになってきていることを,うれしく思っています。

(中略)

11月中旬には,私的旅行として長野県阿智村に行き,満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では,旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き,満蒙開拓に携わった人々の,厳しい経験への理解を深めることができました。

また,その際訪れた飯田市では,昭和22年の大火で,市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり,延焼を防ぐよう区画整理をし,広い防火帯道路を造り,その道路には復興のシンボルとして,当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に,災害復興を機に,前より更に良いものを作るという,近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。

(後略)             http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/7