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『元号』(文春新書)「はじめに -元号(年号)とは何か-」

平成30年4月10日

我が国には歴史ファンが多い、といわれている。確かに本屋さんを覗くと、歴史関係の新刊書や特集雑誌が続々現われ、テレビでも時代劇や歴史物番組の視聴率が高いという。

ところが、受験生のなかに「歴史は“年号”を覚えないといけないから面倒くさい」などと敬遠する人も少なくない。しかし、その“年号”というのは、数字の並ぶ“西暦”のことを指すらしく、これから本書でとりあげる元号(年号)ではないようである。

そこで、タイトルは「元号」としたが、本来は「年号」であり、両者をほぼ同義語として併用する。「年号」は、年数の上に良い漢字(ほとんど二字)を冠して念を表す称号であり、その年号は、色々な理由で「改元」(元の年を改定)されてきたから「元号」ともいう。制度上は、八世紀初めの「律令法」により「年号」が公用され、十九世紀中ごろの「明治」改元で「一世一元」となって以来「元号」が公称とされている。

このような元号(年号)は、現在の歴史書にも数多く登場する。ちなみに、「文部科学省検定済教科書」は、中学の社会科「歴史」でも、高校の地理歴史科「日本史」をみても、その過半数に出る主要な歴史用語として、元号(年号)を含むものが少なくない。その一部を表示すれば、次の通りである(全国歴史教育研究協議会編・山川出版社刊の高校『日本史AB用語集』参照)。

 

〈飛鳥・奈良・平安時代(7~12世紀)〉

大化改新(乙巳の変) 白鳳文化 大宝律令 和同開珎 天平文化 延暦寺 弘仁格式 弘仁・貞観文化 承和の変 貞観格式 延喜格式 延喜・天暦の治 承平・天慶の乱 安和の変 延久の荘園整理令 保元の乱 平治の乱 保元物語 平治物語 治承・寿永の乱

〈鎌倉・南北朝・室町時代(13~16世紀前半)〉

建仁寺 承久の乱(変) 貞永式目 宝治合戦 建長寺(建長寺船) 文永の役 弘安の役 永仁の徳政令 元亨釈書 正中の変 元弘の変 建武の新政 建武年中行事 建武式目 観応の擾乱 応永の外冦 正長の土一揆 永享の乱 嘉吉の乱 享徳の乱 応仁・文明の乱 天文法華の乱

〈安土桃山・江戸時代(16世紀後半~19世紀中頃)〉

天正遣欧使節 天正の石直し 天正大判 文禄の役 慶長の役 軽重勅版 慶長遣欧使節 慶長金銀 元和大殉教 寛永の大飢饉 寛永の鎖国令 寛永通宝 寛永寺 慶安の御触書 明暦の大火 貞享暦 元禄文化 元禄金銀 正徳金銀 正徳の治 正徳新令 享保の改革 享保の飢饉 宝暦事件 明和事件 天明の飢饉 寛政の改革 寛政暦 寛政異学の禁 化政(文化・文政)文化 天保の飢饉 天保の改革 安政の五カ国条約 安政の大獄 文久の改革 慶応義塾(※近代の学校名は別掲)

〈東京時代(19世紀後半~21世紀初め)

明治維新 明治天皇 明治通宝札(新貨幣) 明六社 明治六年の(征韓論)政変 明治十四年の政変 明治(大日本帝国)憲法 明治美術会 大正天皇 大正デモクラシー 昭和天皇 昭和恐慌 昭和維新 平成不況

 

これでもやはり面倒だと思う人はあろうが、高校日本史用語(約五千)の二%にすぎない。むしろ、これらは日本史上のキイワード、いったん覚えてしまえば、歴史の流れが判りやすくなるのではないか。年号の代りに西暦を用いて、たとえば「六四五年の改新」とか「七〇一年律令」といえば、一見正確な表現となるが、味も素っ気もない。それは各自を識別するのに必要な文字のネーム(氏名)と個人を特定する数字のマイナンバーとの違いによる。

元号(年号)は、良好な漢字(ほとんど二文字)を選んで年数に冠する“年の名前”である。従って、それぞれに個性があり意味を持っている。だからいったん覚えたら、ほとんど忘れない。まして少し由緒を頭に入れておけば、その時期や出来事などへの興味が高まることであろう。

たとえば、三十年目を迎えた「平成」元号は、昭和六十四年(一九八九)一月七日朝、天皇(八十七歳八ケ月余り)の崩御直後、政府が「改元」の最終手続きを整えて、午後二時半に公表され、翌八日午前零時から施行された。その際、政府から、「この“平成”には、国の内外にも天地にも平和が達成される、という意味がこめられており、これからの新しい時代の元号とするに最もふさわしい」と説明されている。

この「平成」元号は、従来どおり漢籍の中から良い意味の漢字二字を取り出しうまく組み合わせたものが選び定められたのである。それ以来、われわれ日本人は「平和が達成される」ことを理想に掲げながら、三十年ほど歩んできたことになろう。

もちろん、現実にはその理想どおりに進むことは難しい。しかし、少なくとも今上陛下は「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来」られた(二〇一六年八月八日の「おことば」)ことは確かである。その積極的なお務めにより、多くの人々に心の安らぎをもたらされ、また国際的にもみても、より平和な日本のイメージ向上に貢献されてきたことは、おそらく後世、相応に評価されるものと想われる。

この天皇が八十代半ばという「高齢」ゆえに、平成三十一年(二〇一九)四月三十日限りで「譲位」されることになった。それに伴って「平成」元号もゴールを迎え、新しい天皇陛下のもとで新しい元号がスタートする。そして上皇陛下は、崩御後に「平成天皇」の追称され、またこの三十年余りは“平成時代”と呼ばれることになろう。

とすれば、元号(年号)は、古代以来の日本歴史を理解するにも大事な手懸りであり、また天皇を「日本国民統合の象徴」と定める現行憲法のもとで、日本における紀年法(年の表し方)として、今後とも重要な意味をもっているといえよう。

その千数百年にわたる歩みを、できるだけ判り易く解き明かすことに努めたい。