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後桜町上皇から光格天皇への御訓育

平成31年3月1日

           道徳科学研究センター主任研究員 橋本富太郎
 第119代の光格天皇は、後桃園天皇(22歳)の早逝により、将来、その遺児・欣子内親王(1歳)を皇后とすることも考えて、閑院宮家の3代目から擁立された。
 そのため、先帝の伯母・後桜町上皇(40歳)から、懇切な帝王教育を受けておられる。それは光格天皇の践祚から20年近く経っても続いていたことが、寛政11(1799)年7月、天皇から後桜町上皇へ宛てられた丁重な長文の御礼状(書簡)によってわかる。
 光格天皇は「仰せのとおり」と、後桜町上皇の言葉を受けつつ、『論語』等の漢籍や史書に見える徳目を挙げて、君主としてのあるべき姿と、そうあるためには日々の修養が重要であることを記しておられる。また「自分を後にし、天下万民を先とし、仁恵、誠信の心、朝夕昼夜に不忘却時」は、神明の加護を得られるとも書かれており、天皇は修養に加えて神事にも熱心に取り組まれていた。
 こうして学徳を積まれた光格天皇は、御在位中に政治にも文化にも貢献されただけでなく、文化14(1817)年の御譲位後も20余年、仁孝天皇の後見に大きな役割を果たしておられる。