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光格天皇に関する新資料『寛政新造内裏還幸行列絵図』発見

2017-06-23
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『寛政新造内裏還幸行列絵図』

光格天皇(1771~1840、在位1780~1817)は、江戸時代後期の第119代天皇。寛政2年(1790)11月22日、当時19歳の光格天皇は、天明8年(1788)1月30日の京都大火により内裏が全焼して以来、3年近く仮御所とされた聖護院(門跡寺院)から、新しく立派に造営された内裏へと還幸された。この絵巻はその大行列を正確に描いたもので、昨年、公益財団法人モラロジー研究所 研究センターの所蔵となった。
※詳細は所功「光格天皇の『寛政新造内裏還幸行列絵図』(『モラロジー研究』79号、本年5月発行)参照

左側:大刀契の櫃 右側:鈴鎰の櫃

寛政2年(1790)11月23日、当時19歳の光格天皇は、天明8年(1788)1月30日の京都大火により内裏が全焼して以来、3.年近く仮御所とされていた聖護院(門跡寺院)から、新しく造営された内裏へと還幸されました。

この絵巻はその行列を正確に描いています。特に注目されるのは、「鈴鎰」(れいいつ)と「大刀契」(だいとけい)の櫃(ひつ)が描かれていることです。
鈴鎰は、律令制下の官吏が中央から地方に赴く際に持参した公用証明の駅鈴と、国司たちが赴任先の正倉を開くために持参した鎰(かぎ)です。
また大刀契も、律令制下の武官が各地に遠征する際に持参した大刀(節刀)と、兵を動員するのに必要な符契(節契)です。

これらは本来宮廷で保管され、必要に応じて文武官人に預け、任務が終われば返却されました。それが平安時代以降、天皇の権威を示すものとして三種の神器に準ずる扱いを受け、皇位継承にあたり前帝から新帝に授けられたのです。そのため、天皇が宮外へ行幸される時には、宝剣・神璽だけでなく、鈴・鎰も大刀・契も帯同することになり、櫃(いわゆる長持)に納めて運ばれました。

それが南北朝の動乱期に紛失したといわれてきました。けれども、その一部が江戸時代まで伝わっていたのか、光格天皇は朝儀復興の一環として、この鈴鎰櫃と大刀契櫃を在位中および譲位時の行幸行列に加えられたと考えられます。

それゆえ、新造内裏の還幸行列に、両櫃が出ていたことを具体的に描いている点でも、本絵図は貴重な資料とみられます。