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嵯峨天皇以来の御写経に学ぶ

令和2年8月21日

 中国の武漢から世界の各地へ飛散した新型コロナウイルスは、昨年末から日本にも来襲した。今や政府も都道府県も医療関係者たちも、その対策に全力を注いでいる。
 こんな時、一般国民の私共は、感染を予防し抑止するため、せめて自粛するほかないが、高齢者でも家にいて出来ることの一つとして、家内と共に写経を始めた。
 その動機は、一昨年(平成三十年)京都の大覚寺で、千二百年前(八一八)に嵯峨天皇(33歳)の書写された「般若心経」(勅封)を奉拝し、精巧な複製心経を拝受して、深く感銘を覚えていたからである。
 『日本後紀』によれば、弘仁九年(八一八)の三月、前年から「水旱相続き 百姓農業の損害少なからず」との公卿奏を聴かれて、「伊勢大神宮に奉幣し、又諸大寺……等に転経礼仏せしめて雨を祈る」だけでなく、旱魃も不作も「朕の不徳」によるものと自省して衣食を節減され、また紫宸殿で「仁王経を請」じておられる。
 さらに七月、関東諸国(東日本)で「地震に崩れ谷埋り……圧死の百姓かぞふべからず」との奏報に対し、直ちに使を遣わして「損害甚しき者に賑恤(しんじゅつ)(救援)する」のみならず、「宜しく天下諸国をして……金光明寺(国分寺)に於て金剛般若波羅密経を転読せしめ……兼ねて禊法を修し不祥を除去せしむ」との詔を下しておられる。
 この写経を勧めた空海(弘法大師48歳)著『般若心経秘鍵』に加えられた上表文(後世作か)にも、「時に弘仁九年春、天下大疫す。ここに(嵯峨)帝皇自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握り、般若心経一巻を書写し奉りたまふ。」と記されている。
 寺伝によれば、嵯峨天皇(33歳)は金泥で「一字三礼」の真心をこめて「般若心経」を書写され、表紙の見返しに檀林皇后が薬師三尊を描かれたという。それをお手本として、中世・近世の天皇も、消災防疫のため心経を書写しておられ、その大部分が大覚寺の「心経殿」に宝蔵されている。
 この大覚寺では、写経用紙を頒布(郵送)しておられ、それを筆ペンで重ね写して返送すると、毎月三回(一日・十一日・二十一日)写経道場で法会を厳修される。「般若心経」は僅か二六〇余字だが、一週間で一枚(一日数十字)謹写する程度のペースならば、続けられるかもしれない。

(所  功)

【参考】大覚寺HP「平成三十年戊戌開封法会」(https://www.daikakuji.or.jp/bojutsu/