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神嘗祭

令和2年10月11日

 神嘗祭は毎年10月、伊勢の神宮において、その年の新穀を皇祖・天照大神に捧げる収穫祭である。年間約1500回におよぶ神宮の祭儀の中で最大の重儀であり、月次祭(6月・12月)と合わせた三節祭の中心に位置づけられている。
 その淵源は、中川経雅『大神宮儀式解』に「神代巻上、天照大神新嘗と見ゆ。これは御自ら新嘗を聞食(きこしめす)をいふ。それを祭る方より神嘗祭といふなり」などとあるように、神話に由来するという。神話によると、わが国の稲作は、天孫瓊瓊杵尊が皇祖天照大神から稲穂を授かり、地上に降って始められたとすることから、歴代の天皇がその豊稔を大神に報謝することが神嘗祭の本義とされている。
 また『年中行事秘抄』には、神嘗祭の起源は第11代垂仁天皇の御代、神宮の鎮座のときとあるが、その存在が明文化されたのは、降って大宝令の「季秋神嘗祭」となる。
 当祭にあたって、朝廷から神宮に幣帛を奉る奉幣使の発遣は、『続日本紀』元正天皇養老5年に初見する。毎年行われるから「例幣」と称され、大極殿後房(小安殿)に出御した天皇は勅使に対して「よく申して奉れ」と仰せになる。例幣は、戦乱のため室町中期に中絶したが、180年ほどのち、正保4年(1647)に再興された。
 明治に入ると、神嘗祭は宮中の賢所でも行われるようになる。賢所は神宮の「代わりの宮」であるということから同様の祭儀を行うべきとされたのであり、賢所神嘗祭は、明治4年(1871)9月17日に初回とし、現在まで毎年斎行されている。
 当初は、9月17日を祭日として、明治6年の祭日祝日制定の際も規定されたが、新暦となると9月ではまだ稲が実っていないため、1ヵ月繰り下げ、明治12年以降は10月17日となった。
 そして、明治41年施行の「皇室祭祀令」では、第14条に「神嘗祭ハ神宮ニ於ケル祭典ノ外、仍(なお)賢所に於テ之ヲ行フ、神嘗祭ノ当日ニハ天皇神宮ヲ遥拝シ、且之ニ奉幣セシム」として大祭に位置づけられることとなる。
 神宮の神嘗祭は外宮先祭の習わしに従い、10月15日、豊受大神宮(外宮)から祭儀を行う。この日午後10時に由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)、明けて午前2時に由貴朝(あしたの)大御饌が奉仕される。「由貴」とは「斎み清めた」の意であり、「大御饌」は立派な食事のことを表す。そして16日正午、勅使が参向し奉幣となる。皇大神宮(内宮)では、16日午後10時、17日午前2時に同様に大御饌が行われ、同日正午、勅使参向の上奉幣されるのも外宮と同じである。
 一方、天皇陛下は17日朝、皇居内の神嘉殿に出御し、同殿南庇(みなみびさし)で神宮を遥拝され、続いて賢所にお出ましになる。ここで陛下は玉串を奉って拝礼し、御告文を奏上される。
 また神嘗祭には、皇居内の水田で天皇陛下が収穫された稲が献進されることになっており、神嘗祭の期間中、両正宮の内玉垣(うちたまがき)に稲穂のまま懸けられる。内玉垣には、全国の農家から奉献された稲穂も懸けられており、ここに天皇陛下と国民とが一体となった収穫感謝の姿が表されているといえる。

(橋本富太郎)

【参考文献】
八束清貫「皇室祭祀百年史」『明治維新 神道百年史』第1巻、神道文化会、昭和41年
中西正幸『神宮祭祀の研究』国書刊行会、平成19年
神宮司庁『図解 伊勢神宮』小学館、令和2年